AI動画に「ヤンキーが猫を撫でる瞬間」を仕込む理由。
I動画は、きれいに作るだけでは記憶に残りません。 見ている人の感情が動くのは、予想を外された瞬間です。 今回は、ぼくが動画の中にわざと仕込んでいる「違和感」と「ギャップ」の話を書きます。 少し手の内を明かしすぎました。
大嫌いだったヤンキーが、雨の中で猫を撫でている。
それを見た瞬間、なぜか少しだけ好きになってしまう。
人間の感情というのは、本当に単純です。
予想していた人物像と、目の前の行動がズレた瞬間に、勝手に心が動きます。
ぼくがAI動画を作るときに一番意識しているのも、まさにこれです。
きれいな映像を作ることではありません。
かっこいい構図を並べることでもありません。
見ている人の予想を、どこで裏切るか。
どこで笑わせるか
どこで気持ち悪くするか
どこで急に感情を持っていくか
そのギャップを、かなり意図的に仕込んでいます。
人は、予想通りのものをすぐに忘れる
動画を見ていて、なんとなく「いい感じ」だと思うことはあります。
映像がきれい
音楽も気持ちいい
キャラクターもかわいい
でも、それだけだと意外と記憶に残りません
見終わったあとに、
「あれ、どんな動画だったっけ」
となりやすい。
理由はシンプルで、そこに感情の揺れがないからです。
人の記憶に残るのは、違和感があった瞬間です。
予想していなかったセリフ
急に入ってくる変な絵面
シリアスな空気をぶち壊すおふざけ
美しいものの中に、少しだけ混ざっている気持ち悪さ
そういうノイズがあるから、作品は引っかかります。
引っかかるから、覚えてもらえます。
ぼくが動画に入れている違和感
ぼくの動画では、この違和感をかなり意図的に入れています。
めちゃくちゃ綺麗なお姫様なのに、顔だけ妖怪みたいにする
大感動するシリアスなシーンの直後に、頭が悪いレベルでふざけたシーンを入れる
かっこいいミュージックビデオ風に進んでいたのに、途中で急におふざけに舵を切る
普通に字幕を読んでいたら、突然字幕がバグり始める
字幕で言っていることと、画面の絵面がまったく合っていない
急にぼくの地声が入る
脈絡なく福沢諭吉の顔がアップで出てくる
こういうものを、ただの悪ふざけとして入れているわけではありません。
見ている人の頭の中に、
「なんだこれ?」
という小さな引っかかりを作りたいんです。
その一瞬で、見る側の集中が戻ります。
画面の向こう側にいた人が、急にこちら側へ近づいてくる感覚があります。
そこで感情が動く。
感情が動くと、作品が少しだけ自分ごとになります。
最後だけは絶対に雑にしない
もうひとつ、ぼくが外さないようにしていることがあります。
それは、ラストのオチです。
最後に笑わせるのか
最後に少し感動させるのか
意味深な余韻を残したまま、ブツッと切るのか
ここは毎回かなり考えます。
人は、作品の全部を覚えているわけではありません。
記憶に残るのは、一番感情が動いたところと、最後に残った感触です。
途中でどれだけ面白いことをしても、終わり方が弱いと、全体の印象まで薄くなります。
だから、途中で強い違和感を作り、最後で感情の着地点を作る。
この2つは、ぼくの中ではセットです。
サビで引っかけて、ラストで持っていく
。
ちょっとせこいですが、作品を覚えてもらうためには必要な設計です。
整えすぎると、つまらなくなる
これは動画だけの話ではありません。
文章でも、音声でも、SNS投稿でも同じです。
きれいにまとまっているものほど、意外と忘れられます。
逆に、少し変な比喩がある文章。
急に温度が変わる話。
読んだあとに妙な余韻が残る言葉。
そういうものの方が、人の記憶に残ります。
だから、作品を整えすぎない方がいい瞬間があります。
少しだけノイズを残す
少しだけ気持ち悪さを残す
少しだけ予想を外す
その引っかかりが、作品を覚えてもらうためのフックになります。
AI動画の制作過程、うまくいった演出、見事に滑った実験、思いついたけれどまだ形にしていないネタ。
そういうものを、これからもここに書いていきます。
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